新大久保(しんおおくぼ)・大久保(おおくぼ)は、東京都新宿区にある街です。
コリアンタウンとして名前は知られていても、なぜ「新」がつく駅があるのか、そもそも「大久保」とは何を意味する地名なのかまでは、意外と知られていません。
この記事では、窪地を意味する地名の由来から、鉄砲組百人隊が住んだ百人町の成り立ち、つつじの名所として知られた時代、そして多国籍な街になるまでを解説します。
あわせて、まぎらわしい大久保駅と新大久保駅の違いも整理します。
目次
大久保・新大久保とは?基礎情報まとめ
大久保・新大久保は、東京都新宿区の北西部に位置する一帯です。
新宿駅の1つ隣で、JR大久保駅とJR新大久保駅という2つの駅を中心とした範囲を指します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 読み方 | おおくぼ/しんおおくぼ |
| 所在地 | 東京都新宿区(区の北西部) |
| 現行の町名 | 大久保一丁目~三丁目、百人町一丁目~四丁目 |
| 主な駅 | JR大久保駅(中央・総武線各駅停車)JR新大久保駅(山手線) |
| 主要駅までの近さ | 大久保駅から新宿駅まで1駅、新大久保駅から新宿駅・高田馬場駅までいずれも1駅 |
| 地名の由来 | 「久保」はくぼんだ土地を指すとされる。定説は確立されていない。 |
| 街の性格 | 多国籍な商店街と学生街。新宿に隣接しながら大型商業施設はない。 |
| 街を象徴するもの | コリアンタウン、皆中稲荷神社と鉄砲組百人隊、大久保つつじ |
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大久保と新大久保の違いは?
「大久保」と「新大久保」は、同じ一帯を指す言葉のようで、実は指すものが違います。
まぎらわしさの原因は、駅名・町名・通称の3つがずれていることにあります。順に整理します。
大久保駅と新大久保駅は別の駅
まず、大久保駅と新大久保駅は、別の駅です。乗り入れる路線も違います。
| 項目 | 大久保駅 | 新大久保駅 |
|---|---|---|
| 路線 | JR大久保駅(中央・総武線各駅停車) | JR新大久保駅(山手線) |
| 開業 | 1895年(明治28年)5月5日 | 1914年(大正3年)11月15日 |
| 住所 | 東京都新宿区百人町一丁目 | 東京都新宿区百人町一丁目 |
| 隣の駅 | 新宿・新中野 | 新宿・高田馬場 |
2駅は直線距離で300mほどしか離れていませんが、改札はつながっておらず、乗り換えには徒歩移動が必要です。
徒歩5分前後で行き来できる距離です。
先にできたのは大久保駅のほうで、19年後に山手線の駅が近くに開業したため、「新」をつけて新大久保駅と名づけられました。
既存の駅名に「新」をつけた駅名としては、JRで最も古い例といわれています。
「新大久保」という町名は存在しない
住所として使われている町名は「大久保」と「百人町」だけで、「新大久保」という町名はありません。
新大久保は駅名から広まった通称です。しかもその新大久保駅の住所は、大久保ではなく百人町一丁目です。
さらにまぎらわしいのは、大久保駅の住所も百人町一丁目だという点です。
「大久保駅は大久保にある」と思われがちですが、実際には2駅ともに百人町にあります。
町名としての大久保一丁目~三丁目は、2駅の東側から南東側にかけて広がっています。
エリアとしての呼び分け
実際の使われ方としては、次のように呼び分けられることが多いです。
- 新大久保:新大久保駅を中心とした、大久保通り沿いの多国籍な商店街の一帯
- 大久保:大久保駅周辺と、その東側の町名としての大久保
ただし2駅は徒歩5分の距離なので、店や物件の紹介では「大久保・新大久保」とまとめて扱われることも珍しくありません。
不動産の物件情報を見る際は、この呼び分けよりも、最寄り駅がどちらで徒歩何分か、という表記を確認したほうが確実です。
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「大久保」「百人町」の地名の由来は?
このエリアには、由来のはっきり異なる2つの地名が隣り合っています。
順に見ていきます。
「久保」は窪んだ土地を指す
「大久保」の由来は諸説あり、定説は確立されていません。
ただし、有力とされる説の多くは「久保」=「窪」という土地の性質に結びついています。
伝えられている主な説は次のとおりです。
- 窪地にあったため「窪」が「久保」に転じたとする説
- 16世紀にこの地を領していた「大久保」姓の人物に由来するとする説
- 近くにあった寺院の旧山号が「大窪山」だったことに由来するとする説
- 江戸時代にこの地の同心を取り締まっていた者が「大久保」姓だったとする説
地形を見ると、窪地説には根拠があります。
山手線の最高地点は新宿駅と新大久保駅の間にあり、そこから新大久保駅へ向かって標高が一気に下がります。
実際に歩くと、大久保通りの南北で高低差を感じます。
なお、東西2つの大久保村に分かれたのは戦国期から江戸前期のことと伝えられていますが、年については資料によって幅があります。
「百人町」は鉄砲組百人隊に由来する
一方の「百人町」は、由来が明確です。
1590年(天正18年)、徳川家康が江戸に入ったとき、家臣の内藤清成が率いる鉄砲隊が江戸の西の警備を担いました。この隊は与力と足軽100人で編成されていたため「百人組」と呼ばれました。
その後、この百人組の同心たちが集団で住む組屋敷がこの地に与えられ、「大久保百人町」と呼ばれるようになります。
屋敷が置かれたのは、おおよそ現在の百人町一丁目から三丁目にあたる範囲です。
組屋敷が与えられた年は1602年(慶長7年)とされることが多いものの、正確な年は分かっていません。
百人組の鉄砲の腕は江戸でも一、二を争ったと伝えられ、その縁で新大久保駅のすぐ近くに皆中稲荷神社(かいちゅういなりじんじゃ)が信仰を集めました。
「皆中」を「みなあたる」と読めることから、今も勝負運の神様として知られています。
皆中稲荷神社
天文2年(1533年)にこの地に鎮座したと伝えられ、大久保の鎮守とされてきた神社です。
境内は広くありませんが、新大久保駅の改札を出て西へ100mほどの、大久保通りに面した場所にあります。
例大祭では、2年に一度「鉄砲組百人隊出陣の儀」が奉納されます。
江戸時代に実際に行われていた出陣式を再現したもので、甲冑姿の武将と火縄銃を持った鉄砲隊が周辺を行進します。新宿区の登録無形民俗文化財です。
- 営業時間:境内は参拝自由(社務所の対応時間は公式情報でご確認ください)
- 公式サイト:新宿観光振興協会「皆中稲荷神社」
- 住所:東京都新宿区百人町1-11-16(新大久保駅から徒歩1〜2分)
町名の変遷
明治以降の町名の移り変わりを整理します。
1889年(明治22年)、町村制の施行により、大久保百人町・東大久保村・西大久保村が合併して大久保村が発足しました。
その後、大久保町への改称を経て、百人町が別の町名として分かれます。
1932年(昭和7年)には東京市の区域拡張にともなって淀橋区が置かれ、戦後の1947年(昭和22年)3月に、淀橋区・四谷区・牛込区が合併して現在の新宿区が誕生しました。
「大久保」も「百人町」も、村の名前・組屋敷の名前として始まった呼び名が、400年を超えて町名として使われ続けていることになります。
大久保・新大久保の歴史
窪地の農村から、つつじの名所へ。そして市街地化を経て、多国籍な街へ。
このエリアの歴史は、性格が何度も塗り替えられてきた歴史です。
つつじの名所だった大久保
現在の大久保・新大久保からは想像しにくいものの、この街はかつて、つつじの名所として東京中に知られていました。
きっかけは、百人町に住んでいた鉄砲組百人隊です。
太平の時代、彼らは勤めのかたわら、屋敷の敷地でつつじの栽培に取り組みました。
品種の開発も進み、ここで育てられたつつじは「大久保つつじ」と呼ばれるようになります。
明治に入ると、いったん荒れた時期を経て、1883年(明治16年)に町の有志がつつじ70種・1万株を植え、名所として再興されました。
新宿区の資料によると、江戸時代から昭和初期まで大久保通りの周辺はつつじの名所で、見物用の臨時列車が運転されたこともあったとされています。
新宿区の花が「つつじ」になっているのは、この歴史があるためです。
大久保つつじはどこへ行ったのか
明治後期になると、鉄道の敷設と宅地開発が進み、つつじ園は続けられなくなります。
1903年(明治36年)6月に日比谷公園が開園すると、大久保のつつじの多くはそちらへ移されました。日比谷公園の「つつじ山」は、この大久保由来のつつじを植えたものと伝えられています。
大久保の地からはいったん姿を消しましたが、話はそこで終わっていません。新宿区の資料によれば、群馬県館林市のつつじが岡公園に大久保つつじが残っていることが分かり、そこから挿し木で苗を育てる取り組みが行われてきました。地元では「つつじのさと」としての魅力づくりが、まちづくりの目標に掲げられています。
参考:新宿区「大久保地区協議会 まちの将来像分科会」資料(PDF)
農村から市街地へ
江戸時代から明治にかけて、大久保から早稲田にかけての一帯は、藪や森、田畑が広がる場所でした。早稲田が稲作だったのに対し、大久保村は畑作が中心で、野菜の栽培が盛んだったと伝えられます。
明治末から大正にかけて、東京の市街地が外へ広がっていくと、大久保にもその波が及びます。田畑は宅地に変わり、農業から離れた人たちのなかには、植木職人や苗木の栽培に転じる人が多く見られました。もともとつつじの栽培で培った技術があったためです。
市街地化が進んだ際の地主の多くは、つつじを育てていた花屋だったといわれています。
関東大震災と戦後の復興
1923年(大正12年)の関東大震災では、下町の多くが焼失する大きな被害を受けました。
一方、新宿を含む山の手側は、家屋の倒壊はあったものの火災の被害は限られました。このため、家を失った人や、地盤が強いと考えた人たちが西側へ移り住みます。
この人の流れが、新宿とその隣の大久保の性格を決めました。移住してきた人たちを相手に街が育ち、商店や飲食店、歓楽街が形づくられていきます。空襲で大きな被害を受けたあとも復興は早く、住宅地と商業地として成長しました。
コリアンタウンはどう生まれたのか

現在の新大久保を象徴しているのが、大久保通り沿いのコリアンタウンです。
もともとこの一帯には、大久保通りを中心に中国系の店が並ぶ時期がありました。そこに韓国系の店が増えていき、新大久保駅の周辺を中心にコリアンタウンとして知られるようになったといわれています。
来る人の層も変わってきました。かつては韓国料理を目当てにする周辺のビジネスパーソンや、ドラマをきっかけに訪れる層が主でした。その後の韓国アイドル人気や、コスメ・ファッションへの注目により、若い層が増えています。
近年は韓国系だけでなく、ネパール・ベトナム・イスラム圏の食材店や飲食店も集まり、多国籍な商店街としての性格が強まっています。
背景には、この街の学生街としての性格もあります。日本語学校や専門学校が多く、そこに通う人や近隣で働く人が周辺に住んでいるため、生活のための店が集まりやすい構造になっています。
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大久保・新大久保といえば?街を象徴する3つのもの
歴史を踏まえると、この街を象徴するものは次の3つに整理できます。
| 象徴するもの | 概要 | 歴史との繋がり |
|---|---|---|
| コリアンタウンと多国籍商店街 | 大久保通り沿いに韓国・アジア各国の飲食店や食材店が並ぶ | 学生街として人が集まり、生活のための店が集積した |
| 皆中稲荷神社と鉄砲百人隊出陣の儀 | 2年に一度、甲冑姿の鉄砲隊が周辺を行進する。新宿区登録無形民俗文化財 | 江戸時代に百人組の組屋敷が置かれた「百人町」の名残 |
| 大久保つつじ | 新宿区の花「つつじ」の由来。地元で復活の取り組みが続く | 鉄砲組百人隊が副業として栽培した品種が起源 |
このほか、百人町三丁目にはロンドンのグローブ座をモデルにした劇場、東京グローブ座があります。1988年(昭和63年)に開場した円形の劇場で、建築家の磯崎新が設計しました。
- 営業時間:公演により異なる
- 公式サイト:東京グローブ座(※入稿前にURLを最終確認)
- 住所:東京都新宿区百人町3-1-2(新大久保駅から徒歩6分ほど)
オフィスを構える街としての大久保・新大久保

窪地の農村、つつじの名所、そして多国籍な商店街——と姿を変えてきた大久保・新大久保は、現在ビジネスの拠点としても選ばれる街になっています。
歴史の延長線上にある「働く街」としての特徴を見ていきましょう。
2つの駅で2路線、新宿駅の隣という立地
徒歩5分の範囲に2つの駅があり、性格の違う2路線が使えます。
| 路線 | 主なアクセス |
|---|---|
| JR山手線(新大久保駅) | 新宿・渋谷・品川方面と、池袋・上野方面へ乗り換えなし。都内の主要駅をひと回りできる |
| JR中央・総武線各駅停車(大久保駅) | 新宿から東へ、市ヶ谷・飯田橋・御茶ノ水・秋葉原方面へ乗り換えなし。西へは中野・三鷹方面 |
この2路線の組み合わせが、実務上の利点になります。山手線で都内の主要駅を押さえつつ、中央・総武線各駅停車で御茶ノ水・秋葉原といったオフィス街へ直通できるため、営業先が都内に散っている企業でも移動の組み立てがしやすくなります。
加えて、隣が新宿駅です。新宿駅は都内はもちろん、埼玉・神奈川・山梨方面や、成田空港への直通列車、全国へつながる高速バスのターミナルを備えています。出張の多い企業や、地方に取引先を持つ企業にとっては、1駅の距離にこれがあることが効いてきます。
通勤の経路が多いことは、人材採用の場面でも訴求材料になります。
【オフィス立地の目線】社員の生活利便
このエリアの特徴は、飲食の選択肢が価格帯・国籍の両面で広いことです。
学生街として育ってきた街なので、手ごろな価格で量のある店が多く、定食屋やラーメン店、チェーンの飲食店が揃っています。加えて韓国料理やアジア各国の店が並び、日々のランチが単調になりにくい環境です。業後に立ち寄れる店にも困りません。
新宿のような大型商業施設は多くありません。買い物や来客対応で規模の大きい施設が必要な場合は、隣の新宿駅を使う前提で考えることになります。逆に言えば、大規模施設に人が集まる分の混雑がなく、落ち着いて仕事ができる環境です。
オフィスビルとマンションが混在しているため、職場と住まいを近くにする働き方も選びやすいエリアです。
【オフィス立地の目線】検討時に確認したいポイント
このエリアでオフィスを検討する際、内見前に押さえておきたい点を挙げます。
最寄り駅がどちらか
大久保駅と新大久保駅は使える路線が違います。社員の通勤経路と来客の主な経路によって、どちらが近いかの重要度が変わります
駅からの経路の高低差
窪地に由来する地名のとおり、この一帯には高低差があります。同じ「徒歩◯分」でも坂の有無で体感が変わるため、実際に歩いて確かめておくと確実です
時間帯による人通りの差
大久保通り沿いは休日や夕方以降に人が増えます。搬入や来客の動線を考えるうえで、平日昼と夕方以降の両方を見ておくと判断しやすくなります
ビルの規模と設備
大型のオフィスビルが並ぶ街ではなく、中小規模のビルが中心です。必要な電気容量や空調の方式、エレベーターの有無は物件ごとに確認が必要です
なお、オフィス賃料の水準は、物件の立地・規模・築年数・設備によって大きく変動します。
最新の空室状況と条件は、下記の物件ページからご確認ください。
大久保・新大久保の歴史に関するよくある質問(FAQ)
Q. 大久保・新大久保は何区にありますか?
A. 東京都新宿区です。現行の町名は大久保一丁目~三丁目と、百人町一丁目~四丁目です。
Q. 大久保と新大久保の違いは何ですか?
A. もっとも大きな違いは駅です。大久保駅はJR中央・総武線各駅停車、新大久保駅はJR山手線で、別の駅です。また、町名として存在するのは「大久保」と「百人町」だけで、「新大久保」という町名はありません。新大久保は駅名から広まった通称です。
Q. 大久保駅と新大久保駅はどのくらい離れていますか?
A. 直線距離で300mほどで、徒歩5分前後です。改札はつながっていないため、乗り換えには徒歩移動が必要です。
Q. 新大久保駅はなぜ「新」がつくのですか?
A. 先に近くに大久保駅があったためです。大久保駅は1895年(明治28年)、新大久保駅は1914年(大正3年)の開業で、19年の差があります。既存の駅名に「新」をつけた駅名としては、JRで最も古い例といわれています。
Q. 新大久保駅の住所はどこですか?
A. 東京都新宿区百人町一丁目です。大久保駅の住所も同じ百人町一丁目で、2駅とも「大久保」ではなく「百人町」にあります。
Q. 「大久保」という地名の由来は?
A. 諸説あり、定説は確立されていません。有力とされるのは「久保」が「窪」、つまり窪んだ土地を指すという説です。ほかに、この地を領した「大久保」姓の人物に由来するとする説などもあります。
Q. 「百人町」の地名の由来は?
A. 江戸時代、鉄砲組百人隊の同心たちの組屋敷が置かれたことに由来します。与力と足軽100人で編成された「百人組」が名前のもとです。屋敷が置かれたのは、おおよそ現在の百人町一丁目から三丁目にあたる範囲です。
Q. 新宿区の花はなぜ「つつじ」なのですか?
A. 大久保通りの周辺が、江戸時代から昭和初期までつつじの名所だったためです。鉄砲組百人隊が副業として栽培したことが起源で、「大久保つつじ」と呼ばれました。新宿区は1972年(昭和47年)10月に、つつじを区の花に制定しています。
Q. 新大久保がコリアンタウンと呼ばれるのはいつからですか?
A. 1990年代以降に韓国系の店が増え、次第にコリアンタウンとして知られるようになったといわれています。近年は韓国系だけでなく、ネパール・ベトナム・イスラム圏の店も集まり、多国籍な商店街になっています。
Q. 早稲田大学のキャンパスは大久保にありますか?
A. あります。ただし名称は西早稲田キャンパスです。所在地は新宿区大久保三丁目で、かつては大久保キャンパスと呼ばれていましたが、2009年4月に現在の名称に改称されました。最寄り駅は東京メトロ副都心線の西早稲田駅です。
まとめ
大久保・新大久保は、窪んだ土地を指す地名から始まり、鉄砲組百人隊の組屋敷が置かれ、つつじの名所として知られ、震災後の人の流れを受けて市街地となり、いまは多国籍な商店街を抱える街になりました。
その積み重ねは、新宿区の花「つつじ」として、2年に一度の鉄砲組百人隊出陣の儀として、そして大久保通り沿いの店の並びとして、今も街に残っています。
働く街として見れば、山手線と中央・総武線各駅停車の2路線が徒歩圏で使え、隣が新宿駅という条件を備えています。大型商業施設の賑わいはありませんが、そのぶん落ち着いて仕事ができ、日々の食事の選択肢は広い環境です。
新宿至近の利便性を確保しながら、コストと落ち着きのバランスを取りたい——そうお考えの際は、オフィス移転の候補地として大久保・新大久保を検討してみてはいかがでしょうか。



