佃(つくだ)は、東京都中央区の南東部、隅田川の河口に位置する地域です。
地名を冠する鉄道駅がないため、東京に長く暮らしている方でも「どこにあるか知らない」というケースが少なくありません。
しかし、江戸時代から続く歴史ある町並みと、リバーシティ21に代表される再開発エリアが同居する、中央区の中でも個性的な街です。
本記事では、佃がどんな街なのか、その歴史や中央区での位置づけ、街の特徴からオフィス移転先としての魅力までを解説します。
目次
佃(つくだ)の基本データ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 読み方 | つくだ |
| 所在地 | 東京都中央区佃一丁目~三丁目 |
| 郵便番号 | 104-0051 |
| 最寄り駅 | 都営大江戸線・東京メトロ有楽町線「月島」駅など |
| 中央区内の地域区分 | 月島地域・佃地区 |
| 知られていること | 佃煮発祥の地・リバーシティ21(高層マンション群) |
佃の中央区における位置づけ
中央区は行政上、「日本橋地域」「京橋地域」「月島地域」の3つのエリアに区分されており、佃はこのうち月島地域に属する「佃地区」にあたります。
日本橋地域(日本橋・人形町・茅場町など)や京橋地域(銀座・築地・八重洲など)が江戸時代から続く商業・オフィス街として発展してきたのに対し、月島地域(佃・月島・勝どき・晴海・豊海町)は江戸から昭和にかけての埋め立てによって生まれたウォーターフロントエリアという成り立ちの違いがあります。
関東大震災や戦災の被害を大きく受けなかった地域もあり、下町の路地が今も残る一方、近年は再開発により超高層マンションが立ち並ぶエリアとしても注目されています。
なお「佃」という地名自体は、1967年(昭和42年)の住居表示実施によって定められた比較的新しい行政地名で、それ以前は「佃島」という名で呼ばれていました。
佃の街の特徴
佃は、江戸の名物「佃煮」の発祥地と言われる歴史あるエリアであると同時に、超高層マンション群が林立する再開発エリアでもあります。
新旧が同居する街の様子を見ていきましょう。
今も残る下町情緒あふれる木造住宅街
佃は、東京都中央区という都心のアドレスを持ちながら、下町情緒が色濃く残る街です。
昔ながらの木造住宅が今も見られ、小さな商店や飲食店が点在しています。
老舗の佃煮店や工場
かつては佃煮を手作りする製造所や店が数多く集まっていたエリアです。
全国区のメーカーへと成長し、別の場所に大きな工場を移転させた店もありますが、今なお現地で営業を続ける老舗の佃煮店も残っています。
街のランドマーク「リバーシティ21」の高層マンション群

佃という地名は知らなくても、「リバーシティ21」なら聞いたことがあるという人も少なくありません。
隅田川に囲まれた佃・新川エリアに、官民共同で開発された都心型の大規模高層マンション群です。
単独のマンションではなく、庭園や歩道が整備された一つの街のようなエリアが形成されており、敷地内にはスーパーやクリーニング店、カフェ、フィットネスジムなどが揃い、日常の買い物や運動が完結できる環境になっています。
中でも佃のアドレスを持つのは、2000年に竣工した地上43階建ての賃貸タワーレジデンス、イーストタワーズ・イーストタワーズ2です。
棟内にはラウンジや空中庭園、ミーティングルームなどの共用施設も備わっています。
佃の歴史
現代の佃は、下町情緒あふれる街並みと高層マンション群という新旧が混在する地域です。
どのような歴史をたどってきたのでしょうか。
大阪・佃村の漁師が築いた江戸の埋立地
佃はもともと「佃島」と呼ばれ、隅田川河口の干潟を埋め立ててできた場所です。
埋め立てて住み着いたのは、現在の大阪市西淀川区にあたる摂津国佃村の漁師たちだと伝えられています。
江戸名物・佃煮の発祥地として知られる佃ですが、そのルーツは大阪にあったとされているのです。
伝承によれば、家康は上洛の際に摂津国の多田神社へ参詣した折、佃村の漁師たちの助けを受けたことが縁となり、1590年(天正18年)に家康が江戸へ下向する際、佃村の漁師たちも江戸へ移り住んだとされています。
もっとも、実際に漁師たちが定住した時期や経緯については、家康の代とする説と、二代将軍・秀忠の代とする説など複数の伝承が残っており、細部は文献によって異同があります。
将軍献上の白魚漁と佃煮の誕生

江戸へ下った佃村の漁師たちは、幕府から漁業特権を与えられ、将軍家への白魚などの献上や、江戸湾での漁猟にあたりました。
彼らは隅田川河口の干潟を拝領して埋め立て、正保元年(1644年)にこの地を「佃島」と名付けて住み着いたと言われています。
翌1646年(正保3年)には、故郷・大阪の住吉大社の分霊を祀る住吉神社も建立されました。
佃島という島での暮らしの中で、非常時の保存食として魚介を甘辛く煮た料理が生まれ、これがご飯のお供や酒の肴として江戸市中に広まっていったものが「佃煮」の始まりとされています。
佃煮が佃から生まれたことは知っていても、そのルーツが大阪の漁師にあったことは意外と知られていません。
石川島からリバーシティ21へ
佃島の北側には、江戸幕府の船手頭・石川八左衛門重次が1626年(寛永3年)に居を構えたことに由来する「石川島」という埋立地がありました。
石川島にはのちに人足寄場(軽犯罪者や無宿人の更生施設)が置かれ、幕末の1853年(嘉永6年)には水戸藩によって日本初の洋式造船所・石川島造船所が開設されます。
明治維新後、この造船所は官営を経て民間に払い下げられ、東京石川島造船所、石川島重工業へと発展。1960年(昭和35年)には播磨造船所と合併して石川島播磨重工業(現IHI)となりました。
しかし隅田川河口という立地は大型船の建造には手狭で、大型設備は兵庫県相生の播磨造船所側に集約されていき、1979年(昭和54年)に佃の工場は操業を終了。
この跡地が再開発され、リバーシティ21として生まれ変わったのです。
佃の交通アクセス
佃には地名を冠する駅がありません。
最寄り駅は隣町の「月島」駅で、都営大江戸線と東京メトロ有楽町線の2路線が利用できます。
有楽町線を使えば銀座一丁目・有楽町・飯田橋方面へ、大江戸線を使えば築地市場・汐留・六本木方面へと、乗り換えなしでアクセスできる点は移転先としても見逃せないポイントです。
また、中央区のコミュニティバス「江戸バス」を利用すれば、晴海や豊洲、東銀座方面にも出られます。
オフィス移転先としての佃の魅力
雑学的な知名度は高くない佃ですが、不動産・オフィス移転の観点で見ると次のような魅力があります。
都心主要エリアへの近接性
月島駅から地下鉄1本で銀座・日本橋・築地といった中央区の主要ビジネスエリアにアクセスでき、豊洲・晴海の再開発エリアとも隣接しています。
落ち着いた執務環境
オフィス街特有の喧騒から離れ、隅田川沿いの景観と下町の落ち着いた雰囲気の中で働ける環境です。
生活利便施設が充実
リバーシティ21エリアにはスーパーやフィットネスジムなどが揃い、社員の日常的な利便性を確保しやすい立地です。
個性的な所在地としてのブランディング
佃煮発祥の地という歴史的な物語性は、企業の所在地としても話題性やユニークさを演出できます。
中央区・湾岸エリアでの移転先を探している企業にとって、佃は選択肢の一つとして検討する価値があるエリアと言えるでしょう。
佃のオフィス賃料相場
坪単価は13,000円前後です。
佃は昔ながらの街並みと、大規模マンション群で形成される地域で、オフィスビルの供給量はあまり多くありません。
そのため、やや坪単価は高めになります。
もちろん、立地や築年数、広さ、利便性などによって異なりますので確認が必要です。
佃に関するよくある質問(FAQ)
Q. 佃の読み方は?
A. 「つくだ」と読みます。
Q. 「佃島」と「佃」は同じ場所ですか?
A. 「佃島」はかつての旧町名で、周辺の「新佃島」などとあわせて1967年の住居表示実施により現在の「佃」という地名にまとめられました。おおむね同じエリアを指す名称の変遷と考えて差し支えありません。
Q. 佃の最寄り駅はどこですか?
A. 都営大江戸線・東京メトロ有楽町線の「月島」駅です。佃自体には鉄道駅がありません。
Q. なぜ佃は佃煮発祥の地と言われるのですか?
A. 江戸時代に大阪・摂津国佃村から移り住んだ漁師たちが、保存食として魚介を甘辛く煮たものを作ったのが始まりとされているためです。
まとめ
佃は、大阪・佃村の漁師たちが江戸に移り住んで築いた埋立地を起源とし、佃煮発祥の地としても知られる歴史あるエリアです。
中央区内では日本橋・京橋エリアとは成り立ちの異なる「月島地域」に属し、下町情緒と再開発によるウォーターフロントの街並みが同居しています。
鉄道駅こそありませんが、月島駅から都心主要エリアへのアクセスがよく、オフィス移転先の候補としても注目に値するエリアです。



