新川は東京都中央区の都心部にありながら、下町情緒が残り、隅田川にも面したエリアです。
駅がないので知らない方もいるかもしれませんが、テレビドラマなどでも、度々登場するようなノスタルジックな地域です。
今回は、新川の特徴や過去の歴史、交通アクセスなどをご紹介します。

新川の特徴

新川は、いったいどのような特徴を持った街なのでしょうか。
ここでは、現在の街の様子を見ていきましょう。

中小町工場がある街

新川はかつては酒問屋が連なっていた一方、隅田川が近く、近くに石川島播磨重工などの工場もありました。
部品などを作る町工場や、酒造関連や油などの町工場が現在も運営されています。
近隣住民が営んでいる工場も多く、自宅兼作業所といった場所も少なくありません。

下町情緒が残る住宅街

新川は東京都中央区という都心の中心地でありながら、現在でも戸建て住宅も残るなど、下町風情が残る地域です。
古くから暮らす人や、町工場などを運営する人たち、その職人さんなどの住宅が残っています。

リバーサイドの街

新川は、隅田川に面するリバーサイドにあります。
隅田川の堤防沿いを散歩したり、ジョギングしたりできるほか、堤防から豊洲方面の夜景などを楽しめるのも魅力です。
リバーサイド沿いに建つオフィスビルやマンションは、窓から隅田川をはじめとする景色が楽しめるので人気が高いです。
新川は関東大震災前には、越前堀という堀があり、その堀には全国各地から船が入港してきました。
船の船頭や船員が立ち寄る場所でもあり、リバーサイドエリアとして長い歴史を有しています。

新川に変化を与えたランドマーク

下町風情が残る新川に大きな変化をもたらしたのが、官民共同開発として行われたマンション建設による再開発です。
リバーシティ21新川は、1995年6月竣工した地上35階のタワーレジデンスで、1R~1Kのシングル向けから2LDKまで、505戸もの賃貸住戸があります。
東京メトロ日比谷線とJR京葉線の八丁堀駅から、徒歩7分ほどの便利な場所にありながら、隅田川に面した景観と安らぎが楽しめる場所に位置しています。
通勤に便利で、隅田川沿いの遊歩道を散歩したり、ジョギングしたりといったリフレッシュもできるので、若い世代の心をとらえました。
マンションのふもとにある中央大橋は夜にはライトアップされ、仕事帰りに自室から夜景が楽しめるのも魅力です。
賃貸マンションでありながら、琉球畳の和室がある住戸、広々としたストックルーム付きの住戸があるなど、さまざまなライフスタイルのニーズを満たしてくれます。
賃貸マンションなので、マンションの購入というハードルがなく、移り住みやすいのがポイントです。
新川は中央区の中では高齢化が進んでいたエリアでしたが、リバーシティ21新川ができたことで、若い世代が移り住んできて活気が生まれてきました。
大規模タワーマンションに若い世代が増えれば、それをターゲットにしたお店や飲食店なども増えていきます。
再開発事業により、新川に新たなにぎわいが生まれたのがポイントです。

新川の歴史

現在の新川の様子を見てきたところで、次は新川の歴史を振り返っていきましょう。

埋め立て地からのスタート

江戸時代初期まで、現在の新川があるエリアは隅田川の中洲であり、葦の生い茂る低湿地帯だったといわれています。
その後、江戸幕府により、慶長5年(1600年)頃から埋め立て工事が行われます。
埋め立て工事によって作られた人工島は、霊岸島(れいがんじま)と名付けられ、これが現在の新川の原型です。
霊岸島という名前は、寛永元年(1624年)に現在の千葉県である下総国から浄土宗の僧侶である霊巌が招聘され、この地に霊巌寺を建立したことが由来とされています。
霊巌は、徳川将軍に敬愛されていた僧侶とされており、埋め立て予定地の二万坪を与えられたとされている人物です。
名前の由来となった霊巌寺は、1657年に起きた明暦の大火で焼失し、深川に移転してしまい、現在は新川にはありません。
しかし、新川と茅場町を結ぶ橋は霊岸橋と名が付いているため、かつての霊岸島の名残が残されています。

霊厳寺移転後

明暦の大火で霊厳寺が移転した跡地は、水路が目の前であることもあり、千石船からの荷受けや航海用具を扱う店、飲用水の提供を行う店など、港町特有の業態が集まってきました。
一方、材木商であった河村瑞賢が万治3年(1660年)頃に、日本橋川に並行して霊岸島の中央に運河を掘削しました。
この運河のことを、新たにできた新川と呼ぶようになります。

江戸湊から新川運河には関西方面からの廻船が運び込まれ、江戸の湊として発展を遂げていくことになります。
灘や伏見をはじめ、伊丹、西宮など当時から日本酒の名産地として知られていた地域の問屋から酒が運ばれてきました。
そのため、新川沿いの四日市町を中心に、酒問屋が集まっていきました。

江戸へ船で下ってくるので、下り酒と呼ばれ、江戸で人気を集めていったのです。
中でも灘の日本酒は秋上がりがおいしいと有名であり、秋酒荷の一番船が到着する際には半纏をまとった若衆が旗を掲げ、太鼓を打ち鳴らしながら新川を練り歩き、お祭り騒ぎをしたというエピソードも語りつがれています。
下り酒問屋の7割が新川にあったとされ、酒問屋が集積した新川はいつしか江戸の名所のひとつになり、江戸名所図会にも描かれているほどです。

問屋街の衰退

問屋街の衰退

大正時代に関東大震災が発生すると、新川にある酒問屋街も大きな被害を受けます。
さらに第二次世界大戦中の経済統制の影響もあり、酒問屋としての機能が果たせなくなっていきました。
戦後は新川酒問屋街はほぼ姿を消し、それと同時に利用価値が低い運河とされて、戦後間もない昭和24年に埋め立てられてしまいました。

新川が酒問屋街として栄えた当時、河口部の南側には倉庫が建ち並んでいましたが、現在はその跡地に高層ビルが建ち並んでいます。
また、埋め立てられた水路の跡地には、低層のオフィスビルやマンションが建設されました。
現在の新川一丁目にある寛永2年(1625年)創建の新川大神宮は、今でも酒問屋の守護神としてあがめられ、酒樽の奉納などが行われています。
現在では酒類業者の商売繁盛祈願をはじめ、ソムリエや唎酒師などの資格合格祈願に訪れる人が多いです。

新川の交通アクセス

新川には、新川駅という鉄道の駅はありません。
最寄り駅は東京メトロ日比谷線の八丁堀駅か茅場町駅、JR京葉線の八丁堀駅などを利用します。
日比谷線を使うと上野駅をはじめ、銀座や日比谷、六本木などの都心部に出られます。
日比谷線は日吉など神奈川方面だけでなく、北千住方面に行けば草加などの埼玉方面や東武動物公園、栃木県の鬼怒川方面までつながっている便利な路線です。
京葉線は舞浜や船橋方面に出られるほか、八丁堀で勝浦や鴨川方面への特急に乗り換えることも可能です。
都心とのアクセスのほか、神奈川や千葉、埼玉などともつながる路線が使えるので、関東エリアでの営業がある方には便利といえるでしょう。

新川のオフィス賃料相場

新川のオフィス賃料相場は、坪単価15,000円前後です。
たとえば、15坪のオフィスで月額賃料190,000円ほどが目安になります。
立地や築年数、設備などによっても変動しますので、あくまで参考値としてとらえておきましょう。

まとめ

新川は埋め立て地として形成され、その後は酒問屋が集まり、関西方面からの酒が届く場所としてにぎわいを見せました。
現在では下町風情を残しながらも、高層マンションができるなど、リバーサイドのおしゃれなエリアとしての顔も持っています。

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