お台場というと、有名なドラマや映画を思い出す方も多いのではないでしょうか。
お台場の名が付いた由来も、しばしばテレビ番組などで紹介されているのでご存知の方も多いかもしれません。
この記事では、お台場の特徴や歴史をご紹介していきます。

台場の特徴

お台場は東京都が策定した7番目の副都心であり、東京臨海副都心という位置づけです。
すべてが海を埋め立てた埋立地になっており、東京港埋立地10号地に属する江東区有明と、東京港埋立地13号地に属する港区台場および江東区青海および品川区東八潮からなる442haのエリアで、東京都の複数の特別区をまたがって形成されています。
東京臨海副都心の公式愛称は「レインボータウン」だったのですが、都知事であった石原慎太郎氏が、古くからあったこの地の名称である「お台場」と呼んだことが影響を与え、東京臨海副都心はお台場というネーミングで定着しています。

大型施設群

大型施設群

台場は、海を埋め立てて造られた442haもの広大な土地であるため、土地が限られた都内では実現が難しい、さまざまな大規模施設が造られています。
最新鋭のオフィス機能を備えた大型オフィスビル群をはじめ、物流施設や倉庫群があるほか、テレビ局のフジテレビも移転してきました。
毎年多くの来場者を集めて話題になるコミケや東京モーターショーなども開催される、東京国際展示場(東京ビッグサイト)や都内のゴミを引き受ける有明清掃工場などもあります。
広大な敷地と海の上という自然に囲まれた敷地を活かし、有明テニスの森公園や有明コロシアム、有明スポーツセンターなどの大型スポーツ施設も建設されました。

ウォーターフロントの立地を活かしたスポット

周囲を海に囲まれたウォーターフロントの地域性を活かし、マリンレジャーが楽しめるゾーンがあるほか、観光客を呼び込む商業施設やレジャー施設なども進出しています。
浅草や竹芝ふ頭などなどからは、お台場へと周遊する遊覧船やクルージングツアーなども開催され、観光客に人気です。
ウォーターフロントとしての眺望の良さや近未来都市的な環境を活かし、住宅街も構築されています。
シーリアお台場やトミンタワー台場をはじめ、都営台場一丁目アパートやTHE TOWERS DAIBAなどの高層住宅群が立ち並んでいます。
子どもたちが、ゆりかもめなどで通学しなくても済むよう、にじのはし幼稚園や港陽小学校・中学校などもでき、1つの都市が形成されているのも特徴です。

台場の歴史

では、お台場はどのような歴史を辿ってきたのでしょうか。
お台場の地名が付いた由来も含めて見ていきましょう。

ペリー来航と砲台の築造

1853年にペリーが来航したことで、危機感を抱いた江戸幕府は、江戸を守るために砲台を築造しました。
砲台を置く台のことを台場と呼んでいます。
幕府の計画では、海上に11の砲台を作ることを計画し、5,000人もの人員を動員して人工の島を造って、砲台の設置に乗り出しました。
ですが、最終的に完成した砲台は5基です。
このうち、第一台場と第五台場は、品川埠頭が建築されるにあたって埋没されました。
第二台場は航路と重なるために撤去され、未完成の状態だった第四台場は、現在の天王洲アイルにあり、わずかに石垣などが残る程度です。
残された第三台場と第六台場が国指定の史跡に指定され、中でも第三台場があった場所は台場公園になっています。
海に臨む高台には砲台跡があり、台場公園の中央には陣屋跡や火薬庫跡、かまど跡が残され、当時の時代を感じられるスポットになっています。
こうした歴史を踏まえ、石原都知事は臨海副都心を形成するにあたり、おしゃれなレインボータウンの愛称ではなくお台場と呼んでいたのでしょう。
なお、台場公園からはお台場の街並みや東京湾を超えて東京タワーも見渡せ、レインボーブリッジなども眺められるため、眺望の良い公園として人気があります。

昭和に入って

昭和に入って

台場は、ペリーが来航した江戸時代末期に埋め立てが行われ、台場が築造された歴史がありますが、現在の臨海副都心としてのお台場は、この江戸時代に形成された埋立地をベースに、さらに本格的な埋め立てがなされた場所です。
東京都による臨海副都心の建設は、バブル景気絶頂期の1989年から着手されました。
臨海副都心は、当初はオフィス街になる予定だったので、東京都は積極的に企業誘致を進めていました。

ですが、バブルが崩壊すると、進出を予定していた企業のキャンセルが相次ぎます。
企業進出のキャンセルが相次ぎ、開発計画の見直しを迫られることになった。
その後、鈴木俊一都知事に代わって就任した青島都知事は、臨海副都心開発見直しを掲げます。
さらに、1999年に石原慎太郎氏が都知事になると、過密化する東京の人口増加や交通混雑などを緩和することを目指し、開発事業を推進する方向で再び動き出しました。

本社を移転したフジテレビがリーダーシップをとり、大規模イベント会場の誘致などが進められ、大型アミューズメント施設や大型商業施設が次々に誕生していったのです。
お台場に新しい施設がオープンした当初は話題性もあり、多くの観光客が訪れました。
また、住宅街も形成され、新未来都市のような場所に移り住む人も増えたのです。
離れ小島的な位置づけのため、住宅ができると学校や医療機関、生活関連施設も集積して1つの都市が形成されました。

一方、時を経て話題性が低下し、ゆりかもめへの乗り換えやりんかい線の交通運賃の高さなどから、気軽に訪れる人が減っていき、一部のレジャー施設や商業施設は閉店し、新たな業態や施設へと生まれ変わりを見せています。
今後、新たにできた施設が再び脚光を浴びることで、再び国内外から観光客を呼び込むことが期待されています。

台場の交通アクセス

台場は海を埋め立てた場所にあるので、アクセスできる方法は限られています。
鉄道の場合はりんかい線のみ、主要な手段として新交通のゆりかもめが便利です。
車を使うなら、レインボーブリッジを渡ります。
また、観光なら遊覧船などクルーズ船を利用することも可能です。
ゆりかもめは、新橋駅から出て、お台場エリアにある駅を回っていきます。
コンピューター制御による自動運転なので運転手や車掌がおらず、近未来的な時間を過ごせます。
運転席がないので、走行路を直接見ることができ、車窓から広がる海辺やお台場エリアの景気が眺められるのも魅力です。
りんかい線は、新木場と大崎間を結ぶだけでなく、JR埼京線との直通運転を行っているため、大宮方面をはじめ、池袋や新宿、渋谷、恵比寿などの都心部とダイレクトにアクセスできるのが便利です。
都心部とスピーディーにアクセスしたい場合におすすめの交通手段になります。

台場のオフィス賃料相場

台場のオフィスは、坪単価は20,000円台が相場です。
立地や築年数、テナントに備わる設備、面積によっても変動しますので、確認が必要です。

まとめ

台場は、ペリー来航による外国からの襲来に備えた砲台置き場の台場に始まり、その後は臨海副都心として発展を遂げてきました。
大型のオフィスビルや商業施設、スポーツ施設や清掃施設などをはじめ、高層マンションなどが連なる住宅街もあり、生活の場として小学校や幼稚園、医療機関なども整備されています。
陸の孤島のようなイメージも持たれましたが、ゆりかもめのほか、りんかい線と結ばれたことで都心部へのアクセスも楽になりました。
レインボーブリッジを使って車での移動もでき、クルーズ船で移動することも可能です。

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