八丁堀(はっちょうぼり)は、東京都中央区にある街です。

時代劇に出てくる「八丁堀の旦那」の名前は知っていても、それが東京のどこにあり、どんな歴史を持つ街なのかまでは意外と知られていません。

この記事では、地名のもとになった堀のこと、寺町から与力・同心の町へと変わった経緯、「八丁堀の七不思議」、そして堀が埋め立てられて公園になった現在までを解説します。

八丁堀とは?基礎情報まとめ

八丁堀は、東京都中央区の東部に位置する地区です。

現在の行政地名は八丁堀一丁目から四丁目で、東京メトロ日比谷線とJR京葉線の八丁堀駅を中心とした一帯を指します。

項目内容
読み方はっちょうぼり
所在地
現行の町名八丁堀一丁目~四丁目
主な駅八丁堀駅(東京メトロ日比谷線/JR京葉線)
都心までの所要時間東京駅までJR京葉線で1駅・2分
地名の由来江戸時代に開削された、長さ八町(約872m)の堀の名前
かつての川堀は明治に「桜川」と改称され、昭和に埋め立てられた
街を象徴するもの八丁堀の旦那(与力・同心)、八丁堀の七不思議、桜川跡

八丁堀の地名の由来は?

八丁堀という地名は、この地に実際にあった堀の名前から来ています。

由来そのものは明確ですが、堀がいつ掘られたのかについては説が分かれています。

長さ「八町」の堀に由来する説

江戸時代、この地に通船のための堀が開削されました。

その堀の長さが八町(1町=約109m、八町で約872m)あったことから、周辺一帯が「八町堀」と呼ばれるようになり、その堀の名前が町名になりました。

中央区公式サイトも、町名の由来として「長さが八町(約872m)であることからその名がつきました」と説明しています。

この堀は、京橋川の下流から東へ流れて亀島川に合流し、隅田川を経て海へ注ぐ水路でした。

「八町堀」から「八丁堀」へ

もともとの表記は「八町堀」でした。

江戸時代、「町」は距離の単位として使われており、その略字が「丁」です。

この略字が定着して、現在の「八丁堀」になりました。

また、地域名としての八丁堀は現在よりずっと広い範囲を指していました。

堀を境に、北側の一帯を本八丁堀(北八丁堀)、南側の河岸地一帯を南八丁堀と呼び、その範囲は日本橋茅場町や日本橋兜町のあたりまで及んでいたとされます。

現在の町名としての「八丁堀」は、昭和6年(1931年)に本八丁堀ほか7町を合併して成立したものです。

「八丁堀の旦那」の町──与力・同心組屋敷の時代

八丁堀の歴史を語るうえで欠かせないのが、江戸の治安を担った人々が暮らす町だった時代です。

時代劇で同心が自分たちを「八丁堀」と呼ぶのは、ここに住んでいたからです。

寺町から組屋敷の町へ

意外なことに、江戸初期の八丁堀は寺町でした。

埋め立てられたばかりのこの土地には多くの寺が建てられ、「八丁堀寺院町」と呼ばれるほどでした。

転機は寛永12年(1635年)です。江戸城下の拡張計画にともない、玉円寺を除く多くの寺が郊外へ移転させられました。

そして寺が去った跡地に、町奉行所の与力・同心の組屋敷の町が成立します。その範囲は、日本橋茅場町から八丁堀一帯に集中していました。

町奉行所への通勤の便を考えて、この場所が選ばれたと伝えられています。

与力と同心はどう違ったのか

「与力」と「同心」はまとめて語られがちですが、身分も待遇もはっきり違いました。

項目与力同心
立場徳川家の直臣与力の配下の侍衆
役割裁判・行政を担当する指揮官クラス市中を見回る、現代の警察官にあたる役職
俸禄知行200石30俵2人挟持
拝領した屋敷300~500坪100坪ほど

人数も時代とともに増えました。

初期は与力10人・同心50人でしたが、南北の両町奉行所が成立すると与力50人・同心280人となり、両奉行所に分かれて勤務しました。

着流しに羽織姿、帯に差した十手の朱房。庶民の味方として信頼を集め、「八丁堀の旦那」と親しみを込めて呼ばれました。

なお、彼らは生活費を補うために拝領した屋敷地の一部を町民に貸していました。

その結果、八丁堀は与力で歌人の加藤枝直・千蔭父子や、医者で歌人の井上文雄といった文化人・学者を輩出した町にもなっています。

八丁堀の七不思議

八丁堀には、この町独特の風習や地名をめぐる「八丁堀の七不思議」が語り継がれています。

怪談というより、与力・同心の町だからこその奇妙な光景を集めたものです。伝えられている内容には異同があり、実際には7つより多く数えられています。

代表的なものを紹介します。

女湯の刀掛け

八丁堀の銭湯には、女湯に刀掛けがありました。刀を差すのは武士だけで女湯には不要なはずですが、与力・同心が朝湯に入るために置かれていたと伝えられます。男湯は混み合うため、彼らのために女湯が開放されたという説明がされています

儒者医者犬の糞

八丁堀には儒学者や医者が非常に多く住んでいました。同心は屋敷地の一部を人に貸していましたが、身元の確かな儒者や医者を選んで貸したためです

地蔵の像なくして地蔵橋がある

地蔵の像がないのに「地蔵橋」という名の橋があったことを指しています

このほか「奥様あって殿様なし」「鬼の住居に幽霊が出る」などが数えられます。

こうした逸話が残るほど、八丁堀は江戸のなかでも性格のはっきりした町でした。

堀から公園へ──桜川跡に残る八丁堀の痕跡

地名のもとになった堀は、現在は残っていません。

しかし、その痕跡は今も歩いて確かめることができます。

明治に「桜川」と改称され、昭和に埋め立てられた

通船堀としての八丁堀は、明治になって「桜川」と改称されました。

関東大震災後の復興事業を経て、新桜橋・桜橋・中ノ橋・八丁堀橋・稲荷橋が架けられます。

その後、昭和35年(1960年)から昭和41年(1966年)頃にかけて、中ノ橋から稲荷橋までを残して上流側が埋め立てられ、最終的に桜川は完全に埋め立てられました。

埋立地の一部が、現在の桜川公園です。

今も歩いて確かめられる3つの痕跡

桜川公園

八丁堀駅のすぐ近く、細長い形の公園です。この細長さがそのまま、かつての堀の幅と流れを示しています。園内には中央区教育委員会の説明板「八丁堀(桜川)跡」が立っており、ここで由来を読むことができます。ランチタイムには、近隣で働く人がお弁当を広げる姿が見られます。

  • 営業時間:入園自由(※入稿前に中央区の公園情報で最終確認)
  • 公式サイト:中央区公式サイトの公園案内ページ(※入稿前にURL確定)
  • 住所:東京都中央区入船1-1

稲荷橋跡

桜川の河口近くに架かっていた稲荷橋の親柱・欄干の一部が、歩道に保存されています。橋の名前だけが残る形で、水路があったことを伝えています。

亀島川緑道

桜川が合流していた亀島川沿いの緑道です。地図で亀島川をたどると、桜川がどこで合流していたかが見て取れます。

オフィスを構える街としての八丁堀

寺町、与力・同心の町、そして水運の町——と姿を変えてきた八丁堀は、現在ビジネス拠点として選ばれる街になっています。

歴史の延長線上にある「働く街」としての特徴を見ていきましょう。

2路線が乗り入れ、東京駅の隣という立地

八丁堀駅には、東京メトロ日比谷線とJR京葉線の2路線が乗り入れています。

路線主なアクセス
JR京葉線東京駅まで1駅・約2分。
舞浜(東京ディズニーリゾート)や海浜幕張(幕張メッセ)方面へ直通。
特急を除くすべての定期列車が停車し、西船橋から乗り入れる武蔵野線の列車も停車します。
東京メトロ日比谷線銀座・六本木・恵比寿方面へ直通。
北は北千住から東武線へ直通運転。
南の中目黒駅では同じホームで東急東横線に乗り換えられます。

日比谷線の駅は昭和38年(1963年)、JR京葉線の駅は平成2年(1990年)の開業です。京葉線のホームは日比谷線よりさらに深い位置にあります。

実務上の利点として知られているのが、東京駅の京葉線ホームを経由せずに済むことです。東京駅の京葉線ホームは地下深く、他路線からの乗り換えに時間がかかりますが、日比谷線から八丁堀駅で乗り換えれば、その移動を省けます。京葉線を日常的に使う企業には効いてくる差です。

また、東京駅までは徒歩でも移動できる距離です。新幹線での出張が多い企業にとって、いざというときに歩いて向かえるのは安心材料になります。

【オフィス立地の目線】社員の生活利便

八丁堀は、大通り沿いにコンビニやチェーン店が並び、路地に入ると個人経営の飲食店や居酒屋が点在するという構成です。ランチの選択肢に困りにくく、業後に立ち寄れる店もあります。

大通りから一歩入れば、江戸時代からの区画が残る静かな環境になります。夜間や休日は人通りが落ち着くため、集中して仕事をしたい業種には向いた環境といえます。

近年はオフィスビルだけでなくマンションも増えており、職場と住まいが近い働き方を選びやすいエリアでもあります。

【オフィス立地の目線】検討時に確認したいポイント

八丁堀でオフィスを検討する際、内見前に押さえておきたい点を挙げます。

  • どちらの駅出口から近いか:日比谷線とJR京葉線は改札が分かれており、地下通路でつながっています。物件の最寄り出口によって、実際の徒歩時間と乗り換えの負担が変わります
  • 来客の主な経路:来客が東京駅利用中心なら京葉線側、銀座・六本木方面中心なら日比谷線側と、動線の相性が変わります
  • 夜間・休日の人通り:落ち着いている反面、遅い時間まで営業する店は限られます。深夜対応がある業種は事前に周辺を歩いて確認しておくと安心です
  • ビルの築年数と設備:江戸期からの区画が残るエリアのため、区画が小ぶりなビルもあります。必要な電気容量や空調方式は物件ごとに確認が必要です

八丁堀の歴史に関するよくある質問(FAQ)

Q. 八丁堀は何区にありますか?

A. 東京都中央区です。現在の行政地名は八丁堀一丁目から四丁目までです。

Q. 八丁堀の読み方は?

A. 「はっちょうぼり」です。もとの表記は「八町堀」で、「町」の略字である「丁」が定着して現在の表記になりました。

Q. 八丁堀の地名の由来は?

A. 江戸時代にこの地に開削された堀の長さが八町(約872m)あったことに由来します。その堀が「八町堀」と呼ばれ、堀の名前が町名になりました。

Q. 八丁堀の堀はいつ掘られたのですか?

A. 江戸時代初期ですが、年については諸説あります。中央区公式サイトは寛永年間(1624〜1643年)とし、中央区教育委員会の説明板は『京橋区史』の慶長17年(1612年)という記述を紹介しています。説明板自体が「開削年や名称の由来には諸説あります」と明記しています。

Q. 八丁堀の堀は今もありますか?

A. ありません。堀は明治に「桜川」と改称され、昭和35年(1960年)から昭和41年(1966年)頃にかけて上流から埋め立てられ、その後完全に埋め立てられました。跡地の一部が現在の桜川公園です。

Q. なぜ時代劇の同心は「八丁堀」と呼ばれるのですか?

A. 江戸町奉行所の与力・同心の組屋敷が八丁堀に集まっていたためです。寛永12年(1635年)に多くの寺が郊外へ移転した跡地に組屋敷の町が成立し、彼らは「八丁堀の旦那」と呼ばれました。

Q. 八丁堀駅には何線が通っていますか?

A. 東京メトロ日比谷線とJR京葉線の2路線です。日比谷線の駅は1963年、京葉線の駅は1990年に開業しました。JR京葉線は東京駅まで1駅・約2分で、特急を除くすべての定期列車が停車します。

まとめ

八八丁堀は、長さ八町の堀の名前から始まり、寺町から与力・同心の町へと姿を変え、堀が桜川と呼ばれて埋め立てられるまでの400年を重ねてきた街です。

その積み重ねは、細長い桜川公園の形、歩道に残る稲荷橋の親柱、そして「八丁堀の旦那」という言葉として今も残っています。

江戸の治安を担った町という背景は、東京駅に隣接しながら落ち着いた環境を保つ現在の街並みにもつながっています。

歴史のある立地に拠点を構えたい、東京駅至近の利便性を確保したい——そうお考えの際は、オフィス移転の候補地として八丁堀を検討してみてはいかがでしょうか。

都心でのオフィス移転や拠点開設をお考えの際は、ぜひ八丁堀エリアを検討してみてはいかがでしょうか。

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