日本橋というと、ショッピングする場所やオフィス街、もしくは歴史がある場所など、さまざまなイメージがあるかもしれません。
この記事では、日本橋の特徴や歴史をひも解いていきます。
これから賃貸オフィスを探す予定の方は、ぜひ参考にしてみてください。

日本橋の特徴

日本橋は伝統を残しながらも、オフィス街や商業エリアとして成長し続けている街です。
現在の日本橋の特徴を見ていきましょう。

老舗が残る地域

日本橋には江戸時代から続く老舗店が今も残されています。
現在では個人商店ではなく、日本有数の企業として成長を遂げている歴史あるお店が多いです。
鰹節の「にんべん」や海苔の「山本海苔」をはじめ、古くからある飲食店や和装店、伝統工芸のお店などが残っています。

商業地区

日本橋には日本橋を挟んで、日本橋三越と日本橋高島屋の二大巨頭の老舗百貨店があります。
こちらも伝統と歴史ある老舗店であり、時代が変わっても、ずっと残ってきました。
いずれも高級ステータスのある百貨店であり、その建物は歴史的な建造物としての価値もあります。
現在ではデパ地下グルメなど、誰もが気軽に立ち寄れる百貨店としても人気を集めています。
そのほか、コレド日本橋や日本橋三井タワーなど、ショッピング施設と飲食店、オフィスが融合した複合ビルも誕生しました。

オフィス街

オフィス街

日本橋は都心の中心部にあるだけでなく、日本経済の中心地である大手町や丸の内がある東京駅エリア、証券市場がある兜町にも近く、オフィス街としても発展を遂げてきました。
老舗企業をはじめ、中小企業の本社やオフィスも多いです。
ステータスが高く、法人客も多く望めることから士業の事務所もたくさん点在している地域です。

日本橋の歴史

日本橋は歴史と伝統を持つ地域です。
どのような歴史を刻んできたのか、概要を見てきましょう。

江戸時代に誕生

日本橋の歴史がはじまったのは、江戸幕府が開かれてからです。
1603年(慶長8年)、江戸幕府ができたのと同時に、橋である日本橋も架けられています。
翌年の1604年(慶長9年)に五街道の起点として定められると、全国各地から多くの人や物、そして文化が集まるようになっていきました。
日本橋の両側には、後の三越となる三井越後屋呉服店、今は日本橋から撤退しているものの、後の東急百貨店となる白木屋も誕生しています。
江戸時代に日本橋が架けられてから、どんどん発展を続け、今へといたっている歴史を持つ街です。

震災と復興

日本橋は日本橋川などを中心に水運も発達したことから、今の魚市場にあたる魚河岸もありました。
しかし、1923年(大正12年)の関東大震災で被災し、築地へと移転することになります。
これが築地市場として発展を遂げるわけですが、逆にいうと日本橋から魚河岸がなくなったことで、市場ではないオフィスや商業エリア形成の基盤が広がったとも考えられます。
一方、1902年(明治35年)に建てられた三井本館も震災で大きな被害を受けました。
被災した建物は取り壊されましたが、1929年(昭和4年)に建て直され、関東大震災の2倍の地震に耐えうる耐震性の高い建物になりました。
三井本館は、現存する日本最古の本格的なアメリカンタイプのオフィスビルとして、歴史的に価値のある建物として知られています。

第二次世界大戦後からの復興

第二次世界大戦の東京大空襲により被災した日本橋の街も、戦後に力強く復興を遂げていきます。
歴史的な建物を中心に奇跡的に残っていたこともあり、それが人々のモチベーションにもなりました。
三越では日本初のお子様ランチが提供されるなど、日本橋の百貨店に家族で訪れて買い物や食事を楽しむのが当時の憧れであり、トレンドにもなったほどです。
戦後復興と高度成長期を経て、日本橋は商業だけでなく、金融機関やオフィスが集まる一大ビジネスゾーンとして発展を遂げていきました。

高度成長期と高速道路問題

高度成長期に入り、1964年に東京オリンピック開催が決まると、首都高速道路が形成されていきます。
すると、五街道の起点として機能してきた、美しい日本橋の上に高速道路が走り、歴史と伝統ある景観が損なわれる事態になりました。
見た目の印象が変わってしまった日本橋は、商業エリアとして少しずつ陰りを見せるようになります。
バブル景気で盛り上がった時期もありましたが、バブル崩壊とともに、江戸時代に誕生した白木屋から発展した東急日本橋店が、1998年に閉店することになります。
当時、大手百貨店の閉店は衝撃をもたらし、その後の日本橋の商業地としての勢いが後退していくキッカケともなったのです。
衰退していく商業エリアとしての日本橋に、地域の住民や企業なども危機感を抱き、日本橋再生計画がはじまりました。

日本橋再生計画

日本橋再生計画

日本橋再生計画は、日本橋に往時のにぎわいを取り戻すことを理念に掲げており「残しながら、魅せながら、創っていくこと」を目指しています。
残すとは、伝統や老舗、歴史的な建造物などのことです。
たとえば、日本橋三越は日本初の百貨店として、1914年(大正3年)に誕生し、今でも使われている開閉式のエレベーターをはじめ、エスカレーターや暖房換気などの最新設備、採光天井が配された壮麗な中央ホールが注目を集め、それ以降に誕生していくデパートの見本となりました。
日本橋が経済の中心地であることを象徴する日本銀行本店の建物は、著名な建築家「辰野金吾博士」による石造建築で、1896年(明治29年)に建てられたものです。
一方、閉店して衝撃を与えた東急日本橋店の跡地には、2004年3月にコレド日本橋が誕生し、これは創っていくのスタートになった建物です。
これを皮切りに、再生計画が官民一体となって進行していくことになりました。
さらに、かつての日本橋の景観を取り戻すために、高速道路の地下ルート化と、地下ルート開通後の高架橋の撤去も予定されています。
完成は2040年と少し先のことになりますが、日本橋川上空に青空を取り戻し、歴史と伝統ある美しい日本橋がまた顔を出し、街のシンボルとなることが期待されています。
時間はかかるものの「残しながら魅せながら創っていく」がしっかりと実践されているのが日本橋の今です。

日本橋の交通アクセス

日本橋駅は東京メトロ銀座線と東西線、都営浅草線が使えます。
銀座線は上野・銀座・青山・渋谷へと出られ、東西線は茅場町や飯田橋、早稲田、高田馬場などにもアクセスできます。
都営浅草線は銀座・新橋・五反田・品川をはじめ、羽田空港や成田空港へとつながる路線でもあるので、日頃のビジネスをはじめ、出張などにも便利です。

日本橋のオフィス賃料相場

日本橋のオフィス物件の坪単価は20,000円前後~39,000円前後です。
立地や築年数、テナントの規模によっても相場が異なりますので、確認が必要です。
有名な建物のテナントや、利便性の高い建物に近いほど、賃料が高いなどステータスの影響もあります。
日本橋というアドレスを得たいニーズも高く、需要が多いエリアであることも、賃料相場を押し上げる要因になっています。

まとめ

日本橋は歴史と伝統を残しながらも、オフィス街やショッピングエリアとして発展を続けている街です。
かつての景観を取り戻すべく、長期計画で高速道路の地下ルート化と高架橋の撤去が目指されています。
日本の中心地、起点として機能し続けている日本橋にオフィスを構えると、ステータスも高まり、取引先や顧客からの信頼も上がります。

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