北の丸という地名を聞いてもどこなのかわからないという方もいれば、すぐにピンとくる方もおり、認知度は大きく二手に分かれるかもしれません。
そんな北の丸の特徴や歴史をご紹介していきます。

北の丸の特徴

現在、皇居がある場所は、明治維新が起こり、皇室が京都から遷移してくるまでは、徳川家康が築いた江戸城がありました。
現在でも江戸城の一部が残されています。
江戸城の周りには、現在も皇居を取り囲むお堀が築かれており、江戸城の広大な敷地は本丸、二の丸、三の丸、西の丸、北の丸、吹上というエリアに分かれていました。
その北の丸にあたる地が現在の北の丸であり、現在は約200,000平方メートルに及ぶ北の丸公園になっています。
北の丸がどんな地なのか、特徴を見ていきましょう。

ランドマークとなる北の丸公園

ランドマークとなる北の丸公園

北の丸の地=北の丸公園といっても良く、この地域の広大な面積を占めています。
もっとも、北の丸公園となった歴史はそこまで古くはなく、昭和の時代の1969年に昭和天皇の還暦を記念して開園したので、2024年で55年ほどの歴史しかありません。
江戸幕府が倒され、明治時代に入ってからは、旧日本陸軍の宿舎として多くの建物が建てられていました。

北の丸公園を訪れた方からすれば、江戸幕府の時代から美しい庭園として使われていたと思われますが、実際には戦後になって森林公園とすることが決められ、新たに植林された木々が多く存在しています。
戦前から一部の常緑樹林はありましたが、それに加えて、ヤマモミジやケヤキ、コナラ、クヌギなどが植えられました。

現在では、春はヤマザクラやソメイヨシノ、オオシマザクラなど約200本以上の桜が咲き誇り、東京でも有数のお花見スポットになっています。
また、秋にはイロハモミジやオオモミジ、ヤマモミジが赤や黄色に美しい紅葉を見せてくれます。

北の丸公園の一角には、重要文化財にも指定されている旧江戸城田安門や清水門もあり、江戸幕府や江戸城の歴史を感じられるのも魅力です。
また、北の丸公園には、東京国立近代美術館や科学技術館、国立公文書館、昭和館などもあるため、これらの芸術、文化、学術、歴史施設を訪れるのもおすすめです。

東京国立近代美術館

東京国立近代美術館

東京国立近代美術館は、日本で最初に創設された国立美術館です。
横山大観、菱田春草、岸田劉生といった日本を代表する芸術家の作品など、重要文化財を含む13,000点を超える作品を所蔵しており、国内最大級のコレクションを誇っています。
所蔵作品展MOMATコレクションでは、所蔵作品の中から200作品を選りすぐって展示を行っています。

100年を超える日本美術の歴史を一気に見ていくことができ、日本美術ファンを中心に人気を誇る展示会です。
また、ガイドと対話しながら作品を紐解いていく、所蔵品ガイドと呼ばれる鑑賞プログラムやさまざまなテーマを設定して国内外の美術作品を紹介する企画展なども人気です。
眺めの良い部屋と呼ばれる展望休憩室もあり、皇居や北の丸公園などを見渡すことができます。

科学技術館

科学技術館

科学技術館は、現代から近未来の科学技術や産業技術を紹介する総合型の博物館です。
参加体験型の展示が多く、見るだけでなく、触って楽しみながら、最新の科学技術に親しむことができます。

実験ショーや工作教室などの体験プログラムも毎日のように開催されているので、お子様と一緒に訪れるのもおすすめです。

国立公文書館

国立公文書館

国立公文書館は、国の歴史資料として重要な公文書を保存するだけでなく、広く一般に活用されることを目的として設立されました。
所蔵資料の閲覧ができるほか、常設展や春と秋に開催される特別展や企画展なども開催されており、公文書に馴染みがない方も関心を持つ機会が提供されています。

昭和館

昭和館

昭和館は、第二次世界大戦の戦没者やその遺族をはじめ、昭和10年~30年代にかけた戦中、戦後の国民が苦労した生活体験などの情報や資料を集め、保存、展示を行い、後世に歴史を伝える場として利用されています。

北の丸の歴史

では、北の丸はどのような歴史を経てきたのか見ていきましょう。

江戸時代

徳川家康が江戸幕府開府後、慶長11年~12年(1606年~1607年)にかけて江戸城を修築工事するにあたり、千鳥ヶ淵、牛ヶ淵と本丸の間に内郭として築造したのが北の丸です。
それ以降、本丸、西の丸、吹上苑とともに江戸城を取り囲む重要な場所になりました。
徳川八代将軍の吉宗と九代家重の時代には、新たに御三卿が創設され、その2つである田安徳川家と清水徳川家の屋敷が北の丸に置かれました。

明治時代~大正時代

明治維新が起こり、江戸幕府が倒れ、明治政府が江戸城の地が接収されます。
明治政府は独自の軍隊を有していなかったことから、江戸城の跡地である皇居に遷移した天皇の御親衛を名目として、明治4年(1871年)に新兵の軍隊を創設しました。
その軍隊の駐屯地は、皇居を取り囲む北の丸に置かれたのです。
翌年、明治政府は近衛条例を制定して、新設した軍隊を近衛と改称します。

戦後

第二次世界大戦に敗れ、終戦後になると、近衛師団は解体されるとともに、駐屯地と建てられた施設などは国有財産とされました。
そして、北の丸の地には宮内庁をはじめ、法務省や郵政省、労働省、警視庁といった国の機関や学徒援護会などの民間機関に利用されるようになります。

森林公園への移行

昭和30年代に入り、東京オリンピック開催を目指す日本は、北の丸の地を森林公園として整備することに決めます。
整備方針として、残されている常緑樹の林と皇居の森をつながらせて景観をつなぎ、江戸城跡の修景にふさわしい景観にすることや内部には池を中心とした芝生広場を配し、常緑樹や落葉広葉樹、四季折々の花木類を植林することで、近代的かつ開放的で魅力のある公園にすると定められました。

また、その当時、すでに開設されていた科学技術館と日本武道館のほかは、国立公文書館と近代美術館以外の建築物の建築は認めない方針を定めるなど、景観を意識した内容となっています。
この方針に従って整備されるまでの間は、半ば運動公園のようになっていました。
そこで、開園後の1982年から1984年に、開園に向けて立てられた方針を実現すべく大規模な植栽整備が実施されています。
散策が快適に行える園路や休憩ができる卓とベンチ、自然教育に役立つ標本的樹種の導入や名札、解説板を設置したほか、野鳥を呼び寄せる誘致木や蝶の食草、食樹を植栽するなど、野生小動物の生息環境も整備されました。

北の丸の交通アクセス

北の丸の交通アクセス

北の丸には北の丸という駅はなく、立地や目的地により、都営新宿線または東京メトロ半蔵門線の九段下駅や東京メトロ東西線の竹橋駅が最寄り駅として使えます。
都営新宿線は新宿をはじめ、下町方面にもアクセスしやすく、東京メトロ半蔵門線を使えば、表参道や渋谷方面をはじめ、錦糸町やスカイツリーのある押上にもダイレクトアクセスできます。

東京メトロ東西線を使えば大手町や日本橋、茅場町から、浦安や西船橋など千葉方面にも行けるほか、早稲田や高田馬場を抜けて埼玉方面にも行くことが可能です。

北の丸の賃料相場

北の丸はオフィスビルの供給が少ない立地ですが、竹橋や九段下などの周辺地域の坪単価は15,000円前後~18,000円前後です。
立地や最寄り駅、駅からの距離、ビルの築年数や設備、周辺環境によっても変動しますので確認が必要です。

まとめ

北の丸は江戸城の名残りを残すエリアで、北の丸公園は昭和の時代になってから整備されたものです。
都心の中心部にありながら、自然を感じられる都会のオアシス空間であり、仕事の合間にリフレッシュすることや癒しを得ることができます。

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