六本木にはどんな印象をお持ちでしょうか。
賑わいのある場所、ハイソなビジネス街、セレブが住む街など、世代や立場によっても異なるかもしれません。
この記事では、六本木の歴史や現在の街の特徴などをご紹介していきます。

六本木の特徴

六本木は今どのような街なのでしょうか。
特徴を見ていきましょう。

ハイグレードなオフィスビルが集積

六本木には、グローバル化したビジネスシーンに対応できるハイグレードな設備を揃えた高層オフィスビルが増えています。
24時間対応でインフラが整い、ライブラリーがあることやビル内にリフレッシュできるスポットなどが揃い、ビジネスパーソンが快適に働ける環境が完備されています。
IT系企業や外資系の金融機関などのオフィスが多いです。

都市型の大型複合施設が多い

都市型の大型複合施設が多い

単なる大型商業施設や1つのビルに商業施設やオフィスなどが混在するビルではなく、1つの都市を形成するような構成の複合施設が多いです。
商業施設、オフィス棟、住宅棟、ホテル、生活関連施設、美術館や公園などがあり、その敷地内で働く、遊ぶ、生活するがすべてできるような都市型の施設になっています。
そこで働く人、暮らす人だけでなく、国内外から遊びにくる観光客や買い物客も利用できます。

文化芸術や自然に親しめるスポットもある

高層ビルや大規模施設が立ち並ぶだけでなく、緑豊かな自然や文化芸術に親しめる施設も一体化されて開発されているのが現代の六本木の特徴です。
大規模施設がある敷地が公園のようになっていたり、屋上庭園が配されていたり、江戸時代の大名が造った庭園をそのまま活かし、残している場所も少なくありません。

遊んで働いて暮らせる街

バブル景気で沸き立っていた頃の六本木は、国際色が豊かで派手なイメージがあり、夜眠らない街として知られていました。
ディスコやクラブが流行り、若者をはじめ、羽振りのいいビジネスマンやOLさんたちが夜な夜な集まり、朝まで過ごすというイメージです。
始発を待つ人たちのために、駅近の書店が24時間営業していたような場所でした。
そのため、派手なことが苦手な人や子ども、家族連れなどは近づきがたい場所といったイメージもありました。
ですが、今の六本木は大きく様変わりしています。
大規模な再開発が行われ、さまざまなニーズを満たすものが集まる複合施設ができ、1つの施設が1つの都市のように構成されています。
仕事が終わった後に遊びに行く夜の街であったのが、オフィスも集まり、朝から働く街になりました。
さまざまなジャンルのショップや飲食店が集まる商業施設も増え、観光客や家族連れなども気軽に立ち寄れる場所になっています。
さらに、ハイグレードなマンションもでき、24時間営業の大型スーパーをはじめ、多様なライフスタイルに合わせた生活関連施設も一緒に作られたため、暮らす街にもなっています。

六本木の歴史

バブル時代の賑わいのある夜の街から、現代の調和が取れたハイグレードな都市へと発展してきた六本木ですが、それ以前はどのような街だったのでしょうか。
六本木の歴史を辿っていきましょう。

六本木の地名の由来

そもそも、六本木の地名はどうして付いたのでしょうか。
諸説ありますが、この地に6本の松の木が植えられていたという説が有力です。
また、江戸時代に青木氏、一柳氏、上杉氏、片桐氏、朽木氏、高木氏という6つの「木」の文字や「木」にまつわる姓を持つ大名の屋敷が並んでいたという説もあります。

江戸時代から明治時代の六本木

江戸時代の六本木は武家地区でしたが、武家屋敷をはじめ、寺院や神社も多く集まっていました。
明治時代に入ると、武家屋敷などの広い土地が軍の施設として使われるようになり、軍隊の街へと変遷していきます。
1936年に起こった二・二六事件の主力部隊となった歩兵一連隊と三連隊は、六本木に拠点を置く部隊でした。

戦時中から戦後直後の六本木

第二次世界大戦では、1945年5月に起こった山の手大空襲により、港区の大部分を含む東京の多くが焼失しました。
六本木も大きな被害を受けます。
戦後になると、六本木にあった軍の施設がアメリカ軍によって接収され、六本木にもGHQの拠点が置かれました。
その当時の六本木はアメリカ兵が割拠しており、日本人にとっては近づきがたい雰囲気だったと伝えられています。

アメリカ軍の残りと夜の街としての発展

1959年には、アメリカ軍の施設になっていた施設などが日本に返還され、徐々にアメリカ兵の数も減っていきました。
一方で、占領中にアメリカ兵を相手に営業していた飲食店やクラブは、多くがそのまま残って営業を続けていました。
そこに、アメリカのライフスタイルなどに憧れを持つ、日本の若者たちが集うようになります。
さらに、テレビ局が六本木に本社を構えたこともあり、六本木の街に芸能人やアーティストが行きかうようになり、出演後に集まってパーティーを開くようなレストランやバーも増えていきました。
若者が集い、羽振りのいい芸能人が通うVIPルームのある高級クラブなどが賑わいを見せ、夜の街へと変化していきます。
さらに、バブル期になるとディスコブームが起こり、ボディコン姿でお立ち台にのぼり、羽扇子を翻しながら踊りまくる女性で賑わうようになり、バブルの華やかさを象徴する雰囲気が六本木にはありました。

バブル崩壊後の六本木

バブル崩壊後の六本木

バブル景気が終焉していくと、お金を派手に使って遊ぶビジネスマンなどは減り、一部の若者や芸能人が通う、ややディープで近寄りがたい印象の街になっていきます。
バブル全盛期に賑わっていたディスコなどが閉店するなど、街が静かになった印象もあります。
ですが、2000年に都営大江戸線が開通し、交通アクセスが便利になり、2003年には六本木ヒルズが誕生したことで、六本木の街が変わっていきました。
夜の街から、最先端の環境を備えたオフィスビルにIT系企業や外資系企業が集まり、六本木ヒルズの住宅棟にはIT企業の経営者や財界人などセレブが暮らすようになります。
みんながうらやむゴージャスな暮らしぶりで、ヒルズ族という言葉も生まれたほどです。
六本木ヒルズには商業施設や映画館、美術館、庭園なども備わり、さまざまな世代の観光客なども増えていきました。
そして、東京ミッドタウンが生まれたことで、より多くの人が集まるようになります。
働く、遊ぶ、買い物する、芸術を楽しむ、暮らすというバランスの優れた六本木の街へと成長を続けています。

六本木の交通アクセス

六本木は、東京メトロ日比谷線の六本木駅、南北線の六本木一丁目駅、都営地下鉄大江戸線の六本木駅が使えます。
日比谷線では銀座や茅場町から北千住方面へと結ばれ、草加や越谷などの埼玉方面ともダイレクトにアクセスできます。
南北線は白金台や目黒方面、永田町や飯田橋から埼玉方面までつながる路線です。
都営大江戸線を使えば、新宿や東京都庁などへも一直線です。

六本木のオフィス賃料相場

六本木のオフィスの坪単価は20,000円前後~30,000円前後で、築年数が新しく、駅からの距離が短い、設備が整っているビルでは、相場より大きく上がることもあります。
立地や築年数、面積などによっても変動しますので、確認が必要です。

まとめ

六本木は国際色にあふれる夜の街から、ビジネスの街、文化、芸術の街へと変わり、住む街にもなってきました。
さまざまな要素がバランス良く調和し、緑も多い街ですので、オフィス移転なら六本木を検討してみてはいかがでしょうか。

【麻布・六本木】の賃貸オフィスはこちらから。

【六本木駅】の賃貸オフィスはこちらから。