お茶の水(御茶ノ水)は、東京都千代田区から文京区にまたがる一帯の通称です。

大学や病院、楽器店が集まる街として知られていますが、「そもそもなぜ『お茶の水』という名前なのか」「江戸時代はどんな場所だったのか」までは、意外と知られていません。

この記事では、地名の由来となった湧き水の伝承から、神田川の開削によって渓谷風の地形が生まれた経緯、湯島聖堂から始まり学生街・古書店街・楽器街へと広がった街の歩みまでを、年表つきで解説します。

お茶の水(御茶ノ水)とは?基礎情報まとめ

お茶の水は、神田川の谷を挟んで南北に広がる一帯の通称です。

行政上の町名としては存在せず、南側の千代田区神田駿河台から、北側の文京区湯島にかけての範囲を指します。

項目内容
読み方おちゃのみず(駅名の表記はJR・東京メトロとも「御茶ノ水」)
所在地東京都千代田区神田駿河台〜文京区湯島の一帯 ※行政上の町名ではない通称
主な駅JR御茶ノ水駅(中央線快速 JC03/中央・総武線各駅停車 JB18)
東京メトロ丸ノ内線 御茶ノ水駅(M20)
東京メトロ千代田線 新御茶ノ水駅(C12)
都心へのアクセス東京駅までJR中央線快速で約5分、新宿駅まで約9分
地名の由来高林寺の境内から湧いた水を将軍のお茶に用いたことに由来すると伝わる
江戸時代の姿神田山を切り崩した台地に旗本屋敷が並ぶ武家地。神田川の開削で現在の地形に
街の性格大学・病院が集まる文教地区。楽器街・古書店街・カレーの街としても知られる
別名茗渓(めいけい)

参考:千代田区公式「町名由来板:駿河台東部」JR東日本「御茶ノ水駅」

「お茶の水」の地名の由来は?

「お茶の水」という地名は、文字どおり将軍のお茶に使う水に由来すると伝えられています。

そしてその水が湧き出したこと自体が、江戸時代の巨大な土木工事と深く結びついています。

将軍に献上された高林寺の湧き水

江戸時代の初め、現在の御茶ノ水駅の対岸あたりに、高林寺という寺がありました。

この寺の境内から良質な水が湧き出し、それを2代将軍・徳川秀忠に献上したところ、お茶を点てる水として大変良いと評されたと伝わります。

以来この水を毎日献上するようになり、寺は「お茶の水高林寺」、周辺一帯は「お茶の水」と呼ばれるようになったとされています。

高林寺そのものは1657年(明暦3年)の明暦の大火の後に現在の文京区向丘へ移転しており、湧き水の名残は残っていません。

ただし、JR御茶ノ水駅の御茶ノ水橋口を出た交差点の交番横に、この由来を記した石碑が今も建てられています。

参考:国立国会図書館「本の万華鏡/駿河台」

神田山を切り崩して造られた「人工の渓谷」

お茶の水を歩くと、神田川が深い谷の底を流れているのが分かります。

この渓谷のような地形は、自然にできたものではありません。

もともとこの一帯は、北の本郷台・湯島台と地続きの「神田山(神田台)」と呼ばれる丘陵でした。

江戸に幕府を開いた徳川家康は、町づくりのためにこの神田山を切り崩し、その土砂で江戸城の南に広がっていた日比谷入江を埋め立てます。

しかし埋め立てによって川の流れが滞り、下流で洪水が頻発しました。

そこで2代将軍・秀忠の時代、1620年頃の天下普請として、隅田川へ抜ける放水路と江戸城の外堀を兼ねた掘割が神田山に開削されます。これが現在の神田川です。

この工事によって台地は南北に分断され、北側が湯島台、南側が駿河台となりました。

つまりお茶の水の渓谷は、水害を防ぐために人の手で造られた地形なのです。

「駿河台」の地名はどこから来たのか

神田川の南側にあたる「神田駿河台」も、江戸時代に生まれた地名です。

1616年(元和2年)に家康が駿府(現在の静岡市)で亡くなると、家康に仕えていた駿府詰めの家臣たちが江戸へ戻ってきます。

彼らがこの台地に屋敷を構えたことから「駿河台」と呼ばれるようになった、というのが最もよく知られる説です。

このほか、台地の上から富士山がよく見えたことに由来するという説や、秀忠の次男・徳川忠長(駿河大納言)の屋敷があったためとする説もあり、定説は確立されていません。

いずれにせよ、江戸時代の駿河台は旗本屋敷が立ち並ぶ武家地でした。

見晴らしの良さから、火消しの拠点である定火消屋敷も置かれています。

参考:千代田区公式「町名由来板:駿河台東部」

学問の街・お茶の水はどう生まれたのか

江戸時代から400年近い歴史を持つ「学問の街」お茶の水。

大学が集まり、古書店や楽器店が軒を連ねる現在の独自のカルチャーは、すべて江戸時代に建てられた「とある建物」から始まっています。

すべての始まり「湯島聖堂」と「昌平坂学問所」

聖橋を渡ってすぐの場所にある「湯島聖堂」は、1690年に5代将軍・徳川綱吉が創建した孔子廟です。

その後、幕府直轄の「昌平坂学問所」となり、幕末まで全国のエリートが集まる日本の学問の中心地となりました。

明治維新後、この跡地に東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)や東京師範学校(現在の筑波大学)が設立されます。

現在、文京区大塚にあるお茶の水女子大学がその名を冠しているのは、この地で産声を上げたためです。

お茶の水が「日本の近代教育発祥の地」と呼ばれる理由はここにあります。

学生のニーズから生まれた「古書店街」と「楽器街」

学問の地という下地があったお茶の水には、明治期に入ると現在の明治大・中央大・専修大・日本大などの前身となる法律学校が次々と誕生し、多くの学生が集まりました。

世界最大級の神田古書店街

高価な専門書を求める学生を相手に古書店が集まったのが始まりです。

本を日焼けから守るため、靖国通り沿いの店舗の多くが北向きに建っています。

昭和に生まれた楽器の街

昭和初期の音楽ブームと、学生という厚い購買層を背景に、「谷口楽器」「下倉楽器」「イシバシ楽器」などが相次いで開業し、現在の一大楽器街が形成されました。

お茶の水といえば?街を象徴する3つの要素

歴史を踏まえると、お茶の水を象徴するのは以下の3つに集約されます。

象徴するもの概要歴史
学生街・文教地区明治大、日大、順天堂大などが集積湯島聖堂・昌平坂学問所から続く学問の蓄積
古書店街(神保町)世界最大級の古書店街明治期の法律学生を相手に古書店が集積
楽器街数十店の楽器店が駅周辺に集中昭和期の音楽ブームと学生の購買力が背景

ちなみに、片手で手軽に食べながら本を読めることから学生に愛された「カレーの名店」が多いのも、お茶の水ならではの特徴です。

オフィスを構える街としてのお茶の水

武家地から学問の街へ、そして大学と病院の街へと姿を変えてきたお茶の水は、現在ビジネス拠点としても選ばれる街になっています。

歴史の延長線上にある「働く街」としての特徴を見ていきます。

3路線が使える都心アクセス

お茶の水エリアでは、徒歩圏内で3つの路線が利用できます。

  • JR御茶ノ水駅:中央線快速(JC03)、中央・総武線各駅停車(JB18)
  • 東京メトロ丸ノ内線 御茶ノ水駅(M20)
  • 東京メトロ千代田線 新御茶ノ水駅(C12)

丸ノ内線が乗り入れるのは御茶ノ水駅、千代田線が乗り入れるのは新御茶ノ水駅で、両者は別の駅です。

乗り換えの際は間違えやすいため注意してください。

JR御茶ノ水駅と新御茶ノ水駅は、B1出口を挟んで徒歩すぐの距離にあります。

中央線快速を使えば、東京駅まで約5分、新宿駅まで約9分と、いずれも乗り換えなしで到達できます(時間帯により変動)。

秋葉原駅や水道橋駅は徒歩圏にあり、複数方面への選択肢を持てる点も、この立地の実務的な強みです。

【オフィス立地の目線】お茶の水で拠点を検討するときの確認ポイント

お茶の水にオフィスを構えることを検討する場合、次の3点を確認しておくと判断しやすくなります。

1. 採用と通勤のしやすさ

東京駅・新宿駅の双方に乗り換えなしで出られ、千代田線で代々木上原方面、丸ノ内線で池袋方面にもつながります。通勤経路の選択肢が多いことは、採用時の訴求材料にもなります。

2. 来客対応と社員の生活利便

大学・病院・出版社が集まる文教地区という性格から、街全体が落ち着いた雰囲気を保っています。一方で駅直結の商業施設や飲食店も充実しており、来客時のランチや打ち合わせ場所に困ることはありません。

3. 建物の個性と条件の幅

台地と神田川の谷が入り組んだ地形のため、同じ「御茶ノ水徒歩◯分」でも高低差や日当たりの条件は物件ごとに大きく異なります。加えて、オフィス賃料の水準は立地・規模・築年数・設備によって大きく変動します。

最新の空室状況と条件は、下記の物件ページからご確認ください。

【神保町・お茶の水】の賃貸オフィスはこちらから。

【御茶ノ水駅】の賃貸オフィスはこちらから。

【新茶ノ水駅】の賃貸オフィスはこちらから。

お茶の水の歴史に関するよくある質問(FAQ)

Q. お茶の水は何区にありますか?

A. 東京都千代田区と文京区にまたがっています。

神田川より南側が千代田区神田駿河台、北側が文京区湯島です。

JR御茶ノ水駅の住所は千代田区神田駿河台2丁目です。

Q. 「お茶の水」という町名はありますか?

A. 行政上の町名としては存在しません。あくまで一帯を指す通称です。

駅名の正式表記はJR・東京メトロとも「御茶ノ水」で統一されています。

Q. 「お茶の水」の地名の由来は何ですか?

A. 江戸時代初期、この地にあった高林寺の境内から湧き出た水を2代将軍・徳川秀忠に献上したところ、お茶を点てる水として賞賛されたことに由来すると伝えられています。

JR御茶ノ水駅の御茶ノ水橋口近くに、由来を記した石碑が建てられています。

Q. 御茶ノ水は江戸時代どんな場所でしたか?

A. 神田山と呼ばれた丘陵を切り崩して造られた武家地で、駿河台には旗本屋敷が立ち並んでいました。

1690年に湯島聖堂が創建され、のちに幕府直轄の昌平坂学問所が置かれたことで、学問の中心地としての性格も持つようになりました。

Q. 現在の渓谷のような地形は自然のものですか?

A. 人工のものです。

江戸時代、水害を防ぐ放水路と江戸城の外堀を兼ねて神田山を開削した工事によって生まれた地形です。

Q. 御茶ノ水駅にはどの路線が通っていますか?

A. JR御茶ノ水駅には中央線快速と中央・総武線各駅停車が乗り入れています。

地下鉄は、東京メトロ丸ノ内線が「御茶ノ水駅」、千代田線が「新御茶ノ水駅」として、それぞれ別の駅で近接しています。

Q. 御茶ノ水駅はいつできましたか?

A. 1904年(明治37年)12月31日、甲武鉄道が飯田町〜御茶ノ水間を開通させた際に開業しました。

当時の駅は現在地よりやや西寄り、御茶ノ水橋の新宿寄りにありました。

Q. お茶の水女子大学はお茶の水にありますか?

A. 現在のキャンパスは文京区大塚にあります。

校名は、前身の東京女子師範学校が湯島聖堂(旧・昌平坂学問所)の構内、現在のお茶の水橋のたもとに創立されたことに由来します。

Q. 御茶ノ水はなぜ楽器店が多いのですか?

A. 昭和初期の音楽ブームを背景に、1930〜40年代にかけて楽器店がこの地に相次いで開業したことがきっかけとされています。

学生が多く購買層が厚かったことも、集積を後押ししたと言われています。

Q. 山の上ホテルは今も営業していますか?

A. 2024年2月13日から建物の老朽化への対応のため休館しています。

土地・建物は同年11月に明治大学が取得し、竹中工務店との協働により「山の上ホテル 東京」として2027年夏の開業を目指して改修が進められています。

まとめ

お茶の水は、神田山を切り崩して造られた武家地から始まり、湯島聖堂と昌平坂学問所が学問の中心を築き、そこから学生街・古書店街・楽器街へと広がってきた街です。

将軍に献上された一杯の水に由来する地名が、400年を経ていまも使われ続けていること自体が、この街の歴史の厚みを物語っています。

その蓄積は、大学・病院・出版という産業の集積と、都心へ直結する交通利便性という形で現在も生きています。

オフィスの拠点としてお茶の水を検討される際は、こうした街の性格もあわせてご覧ください。